#28 ページ28
♢
あれは、去年のことだった。
まだ俺たちが1年生だった頃の話。
その日、いつもはがら空きの帰りのバスが、何かのイベントでもあったのか混んでいたのだけれど、俺は運良く後方の席に座ることが出来た。
後から乗車してきたA(そのときはまだ言葉を交わしたこともない)は、立ったまま文庫本を広げていた。
入学当時から彼女は男子の間では有名人で、男子たちが彼女のことを「可愛い」とこそこそ噂しているのを何度も耳にしていた。
だから顔と名前は勝手に知っていたけれど、同じバスだとは知らなかった。
真剣な表情で文庫本に目を落とす彼女の横顔を見て、男子たちの言葉を思い出す。
『“Aさんって可愛いけど、ツンツンしてるよな”』
『“いつも一人だもんな。 一匹狼でクールっていうか”』
……確かに、彼女は今日も一人でいる。
笑顔も、見たことないかも。
噂通り冷たい人なのかな。
なんて考えているうちに、バスが一つ目の停留所に着いた。
乗り込んできたのは小さな男の子とその母親と思しき女性。
男の子ははしゃいだ様子でコーンのアイスを片手に車内を走って、空いている席がないか探しているようだった。
母親の制止の声も聞かず……。
他の乗客の戸惑いの視線にも当然気づいていない様子。
と、バスが走り出した。
バランスを崩した男の子がつまずく。
(あ……!)
男の子の持っていたアイスが、彼女のスカートにぶちまけられる。
そして男の子は、こてんと転んでしまった。
文庫本に集中していた彼女もさすがに若干驚いたように「わっ」と小さく声を漏らす。
内心ドキドキしていた。
ヒヤヒヤ焦っていた。
もし彼女が噂通りの冷たい人だったら、あんな小さな男の子すら泣かせかねないのでは……。
『大丈夫?』
彼女は少し慌てたように言うと屈んで男の子を立たせた。
男の子は弱く頷く。
『よかった』
彼女が、柔らかく微笑んだ。
『!』
心臓がどくん、と跳ねる。
笑った……。 笑顔、初めて見た。
『お姉ちゃん、ごめんなさい……』
男の子がこぼれたアイスを見て、泣きそうな顔になる。
『ううん、平気だよ。
バス降りたら、お母さんに新しいの買って貰ってね』
彼女の笑顔は優しさに満ちていて、男の子も安堵したように「うん!」と笑った。
2つ目の停留所に着く。
そこでほとんどの乗客が降りていき、バスはいつものがら空き状態となった。
.
113人がお気に入り
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名:小桜ふわ | 作成日時:2019年9月6日 17時